古代エジプト(紀元前3000年〜)

世界最古のスキンケア文化はエジプトに始まる。パピルスに記された美容レシピには、蜂蜜、ミルク、動物性脂肪、ミルラ(没薬)、乳香などが登場する。クレオパトラ7世がロバのミルク風呂に浸かったという逸話は、ミルクに含まれる乳酸のピーリング効果を(結果的に)利用したものと解釈できる。

アイラインの原料として使われたコール(硫化鉛)は、太陽光から目を守る実用的な目的もあった。美と実用が分かちがたく結びついていた時代だ。

古代ギリシャ・ローマ(紀元前8世紀〜5世紀)

ギリシャでは「カロカガティア」(美と善の一致)の理念のもと、身体の美しさが道徳的価値と結びつけられた。オリーブオイルは食用・美容用・灯火用の万能油として地中海文明を支えた。

ローマ時代には公衆浴場(テルマエ)がスキンケアの場となった。入浴後にオリーブオイルを塗り、ストリギル(金属製の棒)で汚れとともに掻き落とす── これが古代のクレンジングである。

平安時代の日本(8世紀〜12世紀)

日本のスキンケア史において重要なのは「白い肌」への執着だ。『枕草子』で清少納言は「色白き」を美人の条件に挙げている。白粉(おしろい)の原料は鉛白(塩基性炭酸鉛)── 毒性のある物質だった。江戸時代まで鉛白は使い続けられ、慢性鉛中毒が問題視されるのは明治以降のことである。

米ぬかによる洗顔は平安時代には既に行われていた。米ぬかに含まれるγ-オリザノール、フェルラ酸は現代の化粧品にも使用される有効成分であり、先人の知恵は科学的にも裏付けられている。

近代日本と資生堂の誕生(明治〜昭和)

1872年(明治5年)、福原有信が東京・銀座に「資生堂薬局」を開業。西洋薬学を基盤とした日本初の民間洋風薬局だった。1897年に発売した化粧水「赤い水(ユーモジン)」は日本のスキンケア産業の幕開けとなる。

「資生堂」の名は中国の古典『易経』の一節「至哉坤元、万物資生」(大地の徳は偉大で、万物はここに生まれる)から取られた。